銀のイルカ 心の駆け込み寺

今、裏運気。日々思うことを素直に書きます。

母親キャラ@職場

「あー、今日からやっと子供の学校が始まったんですよー、春休み長かったー><」と、今の私は、職場で声高らかに言える。

 

でもふと振り返ると、日本で働いていた時、私は今までそういうキャラを封印するよう意識していた気がする。

母親キャラを封印して、子育ての大変さみたいなものが漂わないように、すごく意識していた。だから、子供の話とか子育ての話も、会社ではトピックにしなかった気がする。話したいけど話さない、とかじゃなくて、なんか心のどこかで、職場の私、と家庭の私、をなんか切り分けていたというか、キャラが違った気がする。

 

でも海外特有なのだろうか、今の職場では、子供の話も自然に出るし、母である自分と働いている自分が、当たり前だけど、自分の中でも、同一人物になってきた気がする。

 

職場での旧姓使用と、本名と2つの名前がある話とどこか似ている気もするのだけど、2つの名前があることで、なんか仕事してる私、と家庭の私、を区切ろうとしてたんだと思う、だからすごくこだわってた。けど、なんか今ふと思ったのは、最近、自分が職場の自分も家庭の自分も同一人物になってきたなという感じ。ありのままの自分をようやく受け入れられるというか。変な区切りが必要なくなった気がする。

 

その意味では、日本にいた時、まだ、ガツガツしてたときの私は、肩肘はって、頑張ってたんだなぁ、、と当時の私をハグしてあげたい。別に当時の私はそれを楽しんでいたわけで、悲しいことでは決してないけれど。

 

働く女性云々の話は、環境も大事だけど、何よりもまずは自分の考えが変わると、その後の行動も変わる。から、まずは個人の価値観の確認って大事だなって思う。

 

今、なんか楽です。方の力が抜けて。

 

母親だからって仕事を楽にしてくれるわけじゃないし、でも何かあればフレキシブルに対応を許される。フェアだなと。

昔の職場では、母親感を出した途端、「大変そうだから、、」って面白い仕事とかを外される感じがして、ありがたい配慮だけど、ガツガツ仕事したかった私はそれが怖くて、母親感を出さないように、意識してたんだなって思う。

 

だから、母親だからって容赦なく、普通に、プロフェッショナルとして扱ってくれるかっていうのも、そういうのも大事なんだと思った。